【プロセカ】「満たされないペイルカラー」をボカロPが考察~才能アリナシのメタ構造~ | G.C.M Records

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【プロセカ】「満たされないペイルカラー」をボカロPが考察~才能アリナシのメタ構造~

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はじめに

こんにちは、ボカロPのアンメルツPです。

今回の記事では、『プロジェクトセカイ』のイベントストーリー「満たされないペイルカラー」
感想・考察を語っていきます。

時間の関係から前回の記事「Period OF NOCTURNE」のようにがっつりには語れないんですが、
このイベントもボカロPとして非常に刺さったので、
イベント終了直後にTwitterでつぶやいた発言を元に少し編集してお届けします。

…とこの記事を書き出した時はそう思ったのですが、だんだん言いたいことが増えてきて、
気付けば前回の8割ぐらいの文字数となり、わりと客観的にはがっつり語っていると言える分量になりました。
ぜひご覧ください。

※イベントストーリーのネタバレしかないので、未読の方はご注意ください。

★他のアンメルツPのプロセカ考察記事はこちら

ニーゴは作り手に刺さる

「25時、ナイトコードで。」、通称ニーゴは楽曲制作サークルであり、
制作者として小ネタだったり共感するシーンもたくさんあります。

今回はその中で、イラスト担当(絵師)の東雲絵名さん(※以下一部敬称略)に
スポットライトを当てたものでした。

プロジェクトセカイ スクリーンショット 絵名「私の絵なんて、曲のおまけでしょ」

ストーリー中では、絵のコンテストも通らず、
ニーゴとして投稿した楽曲のコメントでも、イラストについて辛辣に書かれる絵名が
もがき苦しむ場面があります。

自分には「絵の才能」が無い、と。

絵名の抱える痛みは、絵描きに限らず作り手なら誰もが抱える痛みだと思います。

ボカロPである私にも才能がない、存在価値はあるのかと思うことも沢山あります。

確かに客観的に見たら私は十数年の活動の中、ある程度環境や運には恵まれたほうだとは思っています。
商業で本を出したり、カラオケ配信だったり、YouTubeチャンネル登録者も7,000人近くおり
いつも支援してくださる方は非常にありがたいと感じています。

ただやっぱりメジャーでガッツリ活動している方々や、
話題になって良くも悪くも色んな所で評論(この記事もそのひとつだ)されるような楽曲といった、
上を見てしまうと本当にキリがないです。

全体の中では上位10%ぐらいにはいるとは思ってはいますが、
その上位10%ラインって、大相撲で言うところの幕下なんですよね。

プロジェクトセカイ スクリーンショット リン「誰かに認めてもらえないと、キミの絵は存在しないの?」

私は、絵名には決して才能がないとは思いません。

ニーゴは今回のストーリーによると「楽曲が70万再生を記録する」人気サークルで、
その作曲担当・リーダーである宵崎奏さんが認めた絵師、それが絵名です。

そういう意味では、絵名の悩みも私の悩みも、傍から見れば贅沢なものに見えるかもしれません。
(少し前に「つよつよ絵師になる」的なタグを客観的に見れば強い絵師が使う、みたいなアレもありましたね)

しかし残念ながら人間の欲望には限りはなく、
もっと自分の作品や活動が認められたいという思いは常に持っています。

それは世間一般にもという意味もありますし、
とりわけ絵名の場合は特定の人物、すなわち「父を見返したい」という思いの強さが見て取れます。

バーチャルシンガーが尊い

今回のイベントでは、奏が新たに「誰もいないセカイ」に登場した鏡音リンの歌声を「使って」、
離れた場所にいる絵名に、歌を届けました。

プロジェクトセカイ スクリーンショット リンが歌っている

他のストーリーでは、アドバイスなどでキャラクターを導く役割が多いバーチャルシンガーたちですが、
ここでは、ボカロが直接的に本来の「ボカロ」としての役割を果たしています

ボカロをとりまくn次創作(CGMとかUGCとも)では、
「誰かがボカロを使った歌を作る→それを聴いて歌ってみたり、踊ったり、絵をつける」が基本的な流れです。

奏は、心の底から聴いた者を奮い立たせてくれるような、ごく自然に絵を描きたくなる衝動に囚われるような、
そんなリンが歌う曲を作って提示することで、

・サークルにとって絵名が必要な存在であること
・たとえ誰かに認められなくても、絵を描くという行為の正当性

このふたつを伝えたと言えます。

歌や音楽でしか伝わらない事って、たくさんあります。
それに、他のバーチャルシンガーではなく、鏡音リンの声じゃなければいけない場面もあると私は信じています。

歌声データベース「Power」のように喉から鋭く出したり、
「Warm」「Sweet」のように優しい声が必要なシチュエーション、メッセージは、それぞれ必ずあります。

もっとも、歌詞もないメロディだけ、しかもリンひとりによるアカペラ
上記のふたつを表現できた奏の作曲術は、
それこそ天賦の才能が無いと為せない技であるとは思いますが…

彰人の成長

ストーリー中、絵名に冷徹な態度であたる父に対して、
絵名の弟である東雲彰人くんが諭す場面が登場します。

プロジェクトセカイ スクリーンショット 彰人「絵名は、親父と一緒で、絵が好きなんだよ」

このセリフを彰人が言えるようになったのは、
間違いなく冬弥のイベントで、冬弥とその父にまつわる問題の解決について触れたことが
きっかけなのは間違いないでしょう。

その時は相棒として直接的に何かを解決することはできませんでしたが、
この経験がこのイベントで日の目を見たというわけです。
こうしたさりげないところで成長や経験を描いてくるストーリーテリングは、本当にすごいなと思っています。

絵名の父

ですが、絵名の父の言い分もある程度わかる自分もいます。

クリエイターはやっぱり志望者が多いだけに、ある程度の努力は必要でしょうし、
売れない中で耐えたり、他人の反応を受け止める/受け流すなどのメンタルの強さも大事です。

人生相談かなんかでよくありがちなのが、
「自分の子がプロゲーマー(漫画家とかYouTuber)になりたいと言ってます」というものですね。

小中学生ならともかく、高校生以降になって少しずつ現実が見えるようになった時に
親としてどう諭していくか、もしくは応援していくかというのは親として悩ましい案件の一つでしょう。

その人生相談に対するひとつの回答として、
「本気か単なる逃げで言ってるのかを見極めるために、1日8時間やらせて、毎日進捗を報告させましょう」
いうものを見かけたことがあります。

私はそれも一理あると、そのときある程度納得した記憶があります。
それゆえ、今回のイベントはどちらの側にも共感でき、胸が張り裂ける思いがしました。

父は絵名への伝え方があまりに悪すぎて、ディスコミュニケーション・断絶を起こしていました。
7話で少し胸のつかえが取れたと思いきや、
8話の回想でその部分の過去を蒸し返してくるのはかなりキツかったです。

今回最後に少し歩み寄りをしましたが、今後の親子関係にも注目していきたいですね。

なお、最近のストーリーは各キャラクターの親に注目する機会が増えており、
その辺りは下記の記事が素晴らしいまとめとなっております。

【プロセカ】プロジェクトセカイに見る『親としての在り方』 ~対等度と先導度~ – 矛盾ケヴァット
https://halkenborg.hatenablog.com/entry/2021/03/05/175107

「限りなく灰色へ」に見る、何重ものメタ構造

そして公開された今回のユニットテーマソングである、すりぃさんの新曲「限りなく灰色へ」。

セカイverだと、絵名の心の叫びと取れる楽曲が、
この原曲MVだと、主人公は曲を制作しており、街に流れるのはニーゴが踊るMVという内容。

すなわち、「ニーゴの才能に憧れる作曲家の歌」とも解釈ができるような仕上がりとなっています。

これはボカロPとしてあらゆる方面から刺さってきますね…。

私がボカロ曲を作ったりボカロの評論記事を書いたりする時によく言及するのが「メタ構造」です。
劇中劇だったり、あるいは現実を取り巻く様子が作品とリンクするような表現が、私のツボだったりします。

そういう意味では、よくよく考えるとこれは何重にもメタ構造が貼られているなと思うわけです。

すなわち、
才能がないキャラ(絵名)に向けて才能があるキャラ(奏)が曲を作るというストーリーを表現する、
才能のない人物(MV主人公)才能があるユニット(ニーゴ)に憧れるMVの曲を、
才能がある人物(すりぃさん)が作り、それを才能のない人物(私)外から見る構図となっているわけです。

※ここでの「才能のあるなし」は、主観と客観が入り交ざっています。

プロセカという場に呼ばれない膨大な曲たち

日々何百曲というボカロの新曲が発表されています。
その中で、プロジェクトセカイという大舞台に立てる楽曲、ボカロPはほんのわずかです。

(ツイート主の方は「今の」とおっしゃっていますが、私見では2007年からそうです)

現実世界では華やかな場所に呼ばれることもなく、
ニコニコ動画で数百再生、YouTubeでは数十再生で終わる、
「まず花屋の店先にすら並ぶこともできない」楽曲が日々量産されています。

ですが、その膨大な楽曲の量、積み上げこそが今のボカロシーンへとつながっているわけです。

すりぃさんの楽曲のテーマは、まさにその部分へと切り込むことも意識し、
広く才能がない(と思い込んでいる)人々に刺さる、
「なにくそ!」と奮い立つような作品に仕上がっていると感じています。

「クリエイターの嘆き」というテーマ自体の作品は数多くあったものの、
(個人的には、ボカロ初期の楽曲、あわあわPの「嘘歌」がものすごく好きなのでぜひ聴いてください)
これをプロジェクトセカイというメジャーな場に送り込んだことが大事だと思っています。

あえて「伸びなかった」作風を大舞台にぶつけるチャレンジ

すりぃさん自体、伸びているボカロPではありますが、
代表作「ジャンキーナイトタウンオーケストラ」など、賑やかな曲のイメージがありませんでしたか?
実際今回の曲では、「新しい路線」などの声もよく聞かれました。

ですが実は、「RINLENMANIA 12」でお借りした「ノルア・ドルア・ビー」など、
こういった音数の少ない楽曲も昔から作っていました。

しかし「ジャンキー~」が500万再生(YouTube)なのに対し、「ノルア・ドルア」シリーズは現在10万。
他のアップテンポな楽曲に比べると伸びていないのが現実でした。

本心はすりぃさんご本人のみぞ知るところなのではありますが、
個人的にはこういった、よりによって音ゲーとしてはめちゃくちゃ音数が少ない楽曲をプロセカに送り込む事に、
リベンジの意味も込めた、非常に並々ならぬ想いがあったのではないかと感じております。

そういったことを思うと、「求めるものだけ描いた」というフレーズすら意味深に聞こえるので不思議です。

おわりに

冬弥イベントの時でも思いましたが、下手すると説教になりかねない議題を、
ゲームのストーリーとしてクソデカ感情コンテンツに昇華させていくのが本当に鮮やかでした。

若い方はもちろん、親世代にも何らかの気付きを与えるストーリーなのではないでしょうか。

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