音楽をより楽しむための「情報コントロール」術~曲と作者は切り離すべきか? | G.C.M Records

音楽をより楽しむための「情報コントロール」術~曲と作者は切り離すべきか?

はじめに

2011~2013年にかけて、 『ボカロクリティーク(VOCALO CRITIQUE)』 という
ボカロ評論の同人誌のシリーズが通算10号(Pilot版、UTAU CRITIQUEを含む)発行され、
私アンメルツPもいくつかコラムを寄稿させて頂きました。

今回はそこから、2012年12月に発行された『ボカロクリティーク vol.7』に私が寄稿した原稿をお届けします。

ボカロ批評集『ボカロクリティーク vol.7』表紙。
ボカロ批評集『ボカロクリティーク vol.7』表紙( 『ボカロクリティーク』公式サイトのバックナンバーページより引用)

元の寄稿タイトルは、「音楽をより楽しむための『情報のコントロール』について」でした。

今回、2020年の記事公開に合わせて大幅に加筆修正を行いましたが、
寄稿当時から7~8年経っても、相変わらず「曲と作者は切り離して聴くべきか?」の議論は
新しい情勢・トレンドを巻き込みながら永遠にループを繰り返している
という実感があり、
当時書いたことは今でもほぼそのまま通用するのではないかと思い、今回ネット公開を行いました。

※今回の記事では「だ・である」で口調を統一していたので、ここでもそうなっています。

音楽の評価とは何か

音楽の評価は「受け手の主観」で決まる

この原稿の執筆直前、2012年9月に、『ボカロビギナーズ! vol.1』と銘打った、
初心者を対象にしたボカロ曲制作入門書という趣旨の同人誌を発行した。

2020年現在は、商業流通版『ボカロビギナーズ!ボカロでDTM入門 第二版』がAmazon等で発売されている。

この本は、近年ともすれば忘れられがちである「ボーカロイド(VOCALOID)の本質は歌声合成ソフトである」
という原点に立ち返り、ボーカロイドを使った音楽制作を、
趣味としてより多くの人に楽しんでもらうためにはどうすればいいのかという問題に向き合った
自分なりの答えである。

その中で、音楽を作るのにあたり、
「一人の作り手として音楽に対してどう向き合うべきか」というコーナーを書いた。

音楽は自らの思想を表現する手段の一つであり、芸術、アートに分類される。

そこでは、スポーツやゲームなど、一定のルールをもとに実力を競うという他の趣味と違い、突き詰めれば
「聴いた俺が好きか嫌いか」という受け手(聴き手)の主観によって、いい曲であるかどうかが決まる

そこが音楽を作るにあたって面白いものでもあり、つらいものでもあるということを述べた。

「点を取れば勝ち」のスポーツやゲームとの違い

例えばサッカーなら、自分のチームが相手のチームより多く点を取れば明確に「勝ち」となる。
観客席にいるサポーターは選手たちに声を送ることはできるが、直接点を取ることはできない。

あくまで争うのは選手同士であり、
いくら観客にとって「いい試合」をしたとしても、点を取れなければ負けとなる。

しかし、音楽においては「いい曲」を評価するのはリスナー、つまり観客席にいる人々であり、
同じ曲が与えられても、それが刺さるか刺さらないかは受け手の環境や経験、
持っている情報によって左右されることになるのである。

こうして「いい曲=受け手の主観による音楽の評価」であるという前提を理解して曲を作りましょうというのが
『ボカロビギナーズ!』に書いた文章の趣旨であったが、
この本稿ではこの前提を、主に受け手側、リスナーに視点を写した立場から見ていこうと思う。

そうしてみた場合、音楽の評価というものは、音楽そのものだけでなく、
作り手やその周辺に関する「情報」が多分に関わっているという面があり、
受け手としての我々が、その「情報」に触れる範囲を上手にコントロールすることができれば、
我々は音楽をより楽しむことができるのではないか
というのが本稿の趣旨である。

音楽の評価に密接に関わる「情報」

「音楽以外の音楽」≒「情報」とは

2008年に発行された音楽評論同人誌『読む音楽』において、著者のDJ TECHNORCH氏は
「音楽の楽しみ方というものは音を聴くだけではない」と主張し、
「ヴィジュアル・パッケージ・文字・歴史・評論等」の「音楽以外の音楽」を積極的に取り入れ、
より全面的に音楽を楽しもうということを提言している。

私は、この本で氏が言うところの「音楽以外の音楽」が、ほぼイコール「情報」ということに
置き換えられるのではないかと解釈している。

DJ TECHNORCH氏がゲーム音楽を中心に聴いていた学生当時に、
コナミの音楽ゲーム「beatmania」が登場した。

そこに曲名と一緒に表記されていた、テクノやハウスといった「ジャンル名」という文字情報。

それがジャンルの後ろに広がるクラブミュージックの無限の世界を当時の氏に想像させ、
純粋に曲を聴く以上の魅力を与えていたという。

氏は、同ゲームに収録されていたある曲のジャンル「GABBA」に衝撃を受け、
後にハードコアDJ&作曲家の道に進むことになる。

なおこの本にはこの主張を初めとして、音楽を作る者にとっても聴く者にとっても
非常に示唆に富んだ考察が多く書かれているので、現在入手ルートは非常に限られている状態ではあるが
同人音楽に携わっている方々は、ぜひ一度手に取ってみることをおすすめする。

ボカロシーンには「音楽以外の音楽」が多い

そういう意味では、いわゆるボーカロイドをとりまく界隈には
「ヴィジュアル・パッケージ・文字・歴史・評論等」という
「音楽以外の音楽」が非常に多い
ことに気づかされる。

例えば、楽曲を公開するにあたっては、動画という「ヴィジュアル面」も大事な要素を占める。

また、niconico(ニコニコ動画)やYouTubeで無料で聴けるにもかかわらず、
CDという「パッケージ」は売れている。

「文字」や「評論」は、動画投稿サイトの説明文やSNS上のコメントという形で日常的に存在する。
『ボカロクリティーク』のような評論同人誌も「音楽以外の音楽」と呼ぶことができるかもしれない。

同人および商業で、楽曲から派生した漫画や小説、関連グッズが展開されている。

楽曲をテーマにしたコンビニの商品やコラボカフェなどを目の前にした瞬間、
脳内に曲やPVがフラッシュバックしたという方は多いことだろう。

2012年「ミクLOVESファミマ♪キャンペーン」コラボ商品の一部
2012年「ミクLOVESファミマ♪キャンペーン」コラボ商品の一部。( ファミリーマート公式サイトの企画特集ページ より引用)

2012年に実施された「ミクLOVESファミマ♪キャンペーン」を例にとると、
例えば、野菜ジュースやブリオッシュ自体は当然のことながら音楽ではない。
しかし、そこに「ぽっぴっぽー」や「悪ノ娘/悪ノ召使」のヴィジュアルが加わることにより、
音楽の一部となることができるのだ。

さらに「歴史」に至っては、みんなで作りあげるという、いわゆるCGM文化があり、
自らの活動が、そのままボーカロイドの歴史の一部になっているともいえよう。

ヴィジュアルにしろパッケージにしろ、主にこれらの要素は作り手として生み出すものである。

しかし普段聴き専を名乗っている方も、niconicoやYouTubeにコメントを書く、
あるいはTwitterで曲の感想や、ボカロに関するニュースをつぶやく際は
自分が情報の発信者である、ということを考えると、
これらは広い意味で「作り手側としての活動」とも言える。

受け手の主観は簡単に変わる ~曲と作者は切り離して聴くべきか?~

ここまで、
・いい曲=受け手の主観による音楽の評価
・音楽は、曲そのものの部分だけで決まるとは限らない
ことを見てきた。

ここからは、「そのときの状況や持っている情報によって、受け手の主観はいくらでも変わる」ことを
見ていくことにする。

「情報」ひとつで変わってしまう「音楽」の評価

音楽を聴くときの議論の定番として、「曲と作者は切り離して聴くべきか?」というものが存在する。

一番わかりやすい例は、ミュージシャンがドラッグをやって逮捕されたという記事が出たときだ。

音楽自体は、この情報が出る前後で何も変化してはいない。
変わるのは、情報を受け止めた自分や周囲の反応だ。

これにより、
「捕まったミュージシャンなんかの曲に様々な思いを重ねて聴いていた自分が馬鹿らしい」だったり、
「曲に罪はないからこれからも変わらず聴き続けるが、普段曲を聴いてすらいない、よく理解もしない人が
その捕まったミュージシャンについて囃し立てている様子が面倒くさいので、表立って好きだと言いにくく
なった」
のようなことが言われる。

が、その事実が万一なんらかの形でもみ消されたりして発覚しなかったり、
あるいは記事が出たときにたまたま日本に居なかったなどの事情で
その情報を知ることがなければ、特に評価は変わることなく、その曲を聴き続けることになる。

これが情報によって主観が変わってしまう例である。

※上記は執筆した2012年当時の状況を想定していたが、その後ストリーミングサイトの普及により
「大きな不祥事の際は、とりあえずストリーミングサイトから曲を引き揚げる」という事例が確立されてしまい
昨日まで聴けていた曲が突然聴けなくなるという新たな局面に突入している。
この問題について書こうとするとそれだけで記事がいくつもできそうなので、ここでは控えておく。

未来の実績が過去の評価を決める

これはネガティブな情報の例だが、もちろんポジティブな情報も主観を書き換えるきっかけになる。

雑誌でミュージシャンのインタビューを見て、人柄や曲に隠されたバックグラウンドなどを知って
ますますその曲が好きになったという経験をされた方は多いことであろう。

就職活動をしていた時期に読んでいた『採用の超プロが教える 仕事の選び方人生の選び方』という本に、
「未来の実績が過去の評価を決める」という趣旨のメッセージが書かれていて、
なるほどと思った記憶がある。

「日本の大学を中退し、アメリカの大学に通って卒業しました。
帰国後就職してサラリーマン生活を始めたが、馴染めずに三年で辞めました。」

の後に続く文章が
「今は小さい事業を立ち上げて社長をしています」「今はニートです」では、
前の文章で全く同じことを言っているにも関わらず、だいぶ印象が異なってくると思う。

このように、主観は持っている情報によって簡単に書き換わってしまうものなのである。

「ボカロクリティーク vol.4」に寄稿した「South North Story」考察記事において、
「作者→音源→世界観の三層構造」について書かせて頂いたが、
これも「作者」の行動や、「音源」のたどった歴史がもたらした新たな情報が
曲の「世界観」に影響を与えるという点で、「情報によって主観が変わる」一例といえる。

ボカロクリティークvol.4「South North Story」考察記事に寄稿した「作者→音源→世界観の三層構造」図
ボカロクリティークvol.4「South North Story」考察記事に寄稿した「作者→音源→世界観の三層構造」図

これ以外にも、状況の変化で主観が変わるという例を上げると…

・幼い頃、親が買ってカセットテープで聴いていたあの曲、当時はよくわからなかったけど、
 大人になった今聴くと歌詞の意味がわかるようになって、味わい深く聴けるようになった。

・売れていない時代は好きだったのに、ブレイクしたら前に比べて
 それほど応援する気持ちが入らないようになった。

・失恋したときに、恋人だった人の好きな曲がどうしても聴けなくなってしまった。

このいずれの例も、音楽そのものは変化していない

余談であるが多分この先、失恋のような音楽に直接関係ない人間関係上の理由で
ボカロ曲が聴けなくなる若者もそれなりに出てくるのではないかと思うと、
作り手としてはなかなか辛いものがある。

この章のまとめ

ここまでをまとめると、「いい曲」受け手が「そのときの情報や状況で変わる主観をもって、
作り手による音楽とその周辺要素をどう思うか」によって決まる
ことになる。

ということは逆に言えば、受け手が、より上手い情報のコントロール方法を身につけることで、
「いい曲」に出会う確率を上げたり、

「いい曲」をより長く「いい曲」だと思い続けられるようになったりできる
のではないだろうか?

つまり「曲と作者は切り離して聴くべきか?」という議論に対する私の回答は、
「切り離すと都合がいいことは自分の中で切り離して、一緒に考えると都合がいいことは
自分の中で一緒にして、一番楽しめるように聴きましょう」
という非常に身も蓋もないものになる。

情報の選び方、向き合い方

それでは、具体的に情報のコントロール方法について考えていくことにする。

情報のコントロール方法は、
「情報の選び方」「そうして選んだ情報への向き合い方」という
二つのステップからなる。

まず日々膨大に入ってくる情報を上手く選び、仕分ける。
次に、そうして入ってきた情報をなるべく自分が音楽を楽しめるように受け止める。

言葉にするとシンプルだが、特に後者の「情報の向き合い方」については、
わかっていても実践することはなかなか大変なものといえる。

様々な情報を前向きにとらえつつ、
ネガティブなものは頭の片隅に情報として残しながらも華麗にスルーする精神的な強さも必要になるが、
各自の性格だったり、経験により徐々に学んでいったりする部分もあるので
なかなか改善が難しい部分かもしれない。

しかし、基本的には以下の二点を心がけるようにすれば、
情報の選び方、向き合い方について、
自然に自分に合った方法をとれるようになっていくのではないかと思う。

それは「周りに惑わされない」「一次情報元に近い情報に接する」の二点である。

周りに惑わされない

自分が好きだ、あるいは嫌いだと思ったものがあったとき、
その理由を普段から自分の中である程度整理しておき、
自分なりの判断基準や基本となる考え方を持っておきたい。
それが膨大な情報に惑わされないということにつながるのではないかと思う。

世の中にはいろんな人がいる。
たとえ「1万人に1人の変わり者」だろうと、日本に1万人以上いる計算になる。
それらの人が大勢いるように見えるのがSNSという空間だ。

とくにボカロ界隈は、ボカロという共通のキーワードのもと、
交差点にたまたま集まった烏合の衆の集まりであるため、
同じボカロに関わる者でも本当に色々なバックグラウンドや考えを持つ人がいる。

時としてツイッターをはじめとしたネット上にはその性質上、
極端な内容や、一見すると正論とおぼしき意見が拡散される傾向にあり、
流れてきたツイートをそのまま鵜呑みにするのは危険である。

特に「最近の○○って、△△という空気があるよね」とか
「○○は△△という話があるけど、もしこれが事実だとしたら××だ」みたいなツイートは
大量に拡散されていくうちに既成事実化されてしまうこともある。

リツイートという行為は、自らが発信者になって責任を負う(Re-Tweet)ことにほかならない。

また、オープンなネット上では、本音を隠した建前上のトークを展開せざるを得ないこともある。

公開されたネット上では主に情報収集に勤め、
深い議論などは、よく見知った人とリアルの場やSkype、LINE、Discordなど
閉じたネット上を通して行うのが適切だろう。

一次情報元に近い情報に接する

ボカロ周りの場合は、メーカー各社の公式アカウント、社長など責任者のSNSアカウントや
ボカロPのブログ・SNSアカウントが一次情報元に該当する。

niconicoの新着タグ検索なども、広い意味での一次情報元かもしれない。

ニュースサイトやまとめブログ、Togetterなどは
編集にあたり多少なりとも編集者の意図が反映されるので二次情報元となる。

ここで気をつけておきたいのは、
同じ情報発信元(アカウント)でも、内容によって一次情報である場合と
そうでない場合とが混在しているケースが存在することである。

例えばボカロPは「自らの楽曲やそれにまつわる活動を発信する」といったところに関しては
一次情報元
であるが、ボカロに関する全体的な動きに関してはあくまで情報の受け手の一人でしかない。

動画サイトでの情報コントロール

以上の考え方を踏まえたうえで、ここからは具体的な手法やツールを使った情報の選び方、
向き合い方について考えていきたいと思う。

niconicoでの情報コントロール

まずはniconico(ニコニコ動画)における情報の選び方について考察する。

2012年当時の寄稿文

動画ページにアクセスして、最初に目につくのは動画の本体、そして動画情報とコメントである。

通常のボカロ曲動画やランキング動画については、
まず最初の一回はコメント非表示設定で見て、
コメントがないまっさらな状態で純粋に作者の意図を楽しむのがいいと思われる。

そこでネタ曲などツッコミどころの多い曲であると判断できれば、
コメントがさらに動画を面白くしている可能性も高いので、
コメントを表示してもう一度見てみるという行動になる。

逆に、コメントの入る余地が少ない動画は、できることは賞賛くらいなので
投稿者以外には正直あまり価値のない情報であることが多い。
(投稿者にとってはひとつの「GJ」や「うぽつ」でも大変ありがたいものではあるのですが…)。

よってコメント非表示状態で何回かリピートして
好きな曲だと感じたらそのままマイリストに送ることになる。

どのような動画でも、再生数が一万あたりを超えると不快なコメントの出現はどうしても避けられない。

むしろこのような盛り上がっている曲は、ツイッター上の動画番号ハッシュタグを辿る方が
いろいろな反応を見ることができて興味深かったりする。

ボカロ曲の原曲コメント欄で「○○に歌ってほしい」「△△と比較すると~」と直接書き込んだ場合は
ともすれば荒れる原因ともなるが、
ハッシュタグ上ではあくまで個人の感想として比較的寛容に受け入れられているところがある。
(ニコ動では半強制的にコメントが目に入るが、ツイッターではフォローしなければいいだけの話である)。

数百~数千再生であれば、コメント非表示のまま、動画の右に表示される
最新コメント欄をスクロールして、ざっくりとついているコメントを確認することもある。

動画にアクセスした瞬間に、いわゆるゼロコメや、最新コメント欄の一部などはどうしても
目についてしまうので、曲を自分の聞いたまま善し悪しをするためには、
なるべく投稿直後のタイミングを選んで聴くのがいいと思われる。

2020年現在での追記・補足

2020年現在では、完全にコメントを非表示にしながら登録マイリストを連続再生することができる

2020年現在では、「動画リスト」を表示したまま連続再生すれば、
「動画にアクセスした瞬間のコメント」すら一切見ないまま曲を聴ける。
2020年現在のniconicoでは、「動画リスト」を表示したまま連続再生すれば、
「動画にアクセスした瞬間のコメント」すら一切見ないまま曲を聴ける。
ちなみにニコニコニュースは拡張機能「Stylus」によって非表示にしている。

そのため、まず気になる曲があれば
連続再生用のマイリスト(とりあえずマイリストなど)に全部放り込んでしまい
後からそれを連続再生して気に入った曲を振り分けていく
という方法が望ましい。

また、お気に入りの楽曲に関しては、
音楽部分のみの連続再生ができる「NicoBox」アプリも使ってみるといいだろう。

YouTubeやGoogleニュースでの情報コントロール

YouTubeのコメントについては、
スマホアプリではかなり下のほうまでスクロールしないとコメントが出てこないし、
PCの場合も、画面を下にスクロールしなければ、高評価数の多いいくつかのコメントしか表示されないので
これらの情報からネガティブな影響を受けることはあまりない。

むしろYouTubeにおいてはおすすめ欄」に表示される動画に気をつけたい。

これはYouTubeに限らず、
「Googleニュース」や「Google Discover」などGoogleのサービス全般に言えることだが、
特定のジャンルの動画やニュースをたくさん見たり、自分から設定を行うことで
それに関連した動画や記事をそれなりの精度でおすすめしてくれる。

Googleアプリ(Google Discover)の設定で「興味・関心」を設定しておくと、それに関連した記事や動画がおすすめされる
Googleアプリの設定で「興味・関心」を設定しておくと、それに関連した記事や動画がおすすめされる

しかしながらこのおすすめ、ユーザーの心理面などは十分に考慮していなかったり
日本のクローズドな同人文化とは思想設計が違う、などの理由で

・あるボカロPがご自身で上げた新曲を見たあとに、そのPの転載動画をおすすめしてくる
・あるアーティストの曲を聴いたあとに「アーティストの曲が〇〇に似すぎている件」や
 恋愛スキャンダルのようなゴシップ動画をおすすめしてくる

という、 「情報コントロール」 を行う上で非常にうっとうしい事態が平気で発生する。

これに対しては、うまいことGoogle様に学習してもらうしかないので、地道に下記の作業を行っていく。

YouTubeの場合

ホーム画面に興味のない動画が出てきたら、右側のメニューをタップして「興味なし」を選ぶ。
同じチャンネルで数回連続不愉快な動画が出たら「チャンネルをおすすめに表示しない」も設定できる。

Googleニュースの場合

興味のないニュースが出てきたら、右側のメニューをタップして「類似の記事の表示数を減らす」を選ぶ。
同じニュースソースで数回連続不愉快なものが出たら「(ニュースソース)の記事を非表示」も設定できる。

効率的に最新曲の情報を残さずチェックするには、下記の記事も合わせてご覧頂くことをおすすめする。

Twitterでの情報コントロール

フォローする人を選ぶ

Twitterの使い方も本当に十人十色だと感じる。

ボカロPの場合を考えると、日常のつぶやきを多くする人、他の人とのコミュニケーションを多くする人、
比較的ドライに宣伝中心で活動している人など様々である。

聴き専でも、動画のURLを多く貼って両曲紹介に徹している人、
イベントへの参加やグッズの購入などを中心に活動する人、
ボカロ界隈の出来事やニュースに対して積極的に自分の考えを発信する人、
ボカロ以外の社会の出来事(政治・経済・ネットニュースなど)についても多く発信する人など、
様々な人々が存在する。

その中には、
「作品は好きだけど人間性はあまり好きになれない」というケースや、
「ボカロに対する考え方には共感できるけど政治に関しては正反対だ」というパターンは、
自分も相手も生身の人間である以上、必ず出てくるのではないかと思う。

そういった場合は、相手が動画投稿者であれば、
Twitterでのフォローをやめて、YouTubeへのチャンネル登録+通知受け取り、
niconicoのフォローやピアプロのお気に入り登録に切り替えて、
純粋に作品のみを楽しむことに徹するという方法が考えられる。

主観が書き換わってその作者の作品自体が楽しめなくなってしまう前に、情報を遮断することは
精神的な健康を保つためにも必要なことである。

リツイート(RT)非表示機能の活用

また、特定の人によるリツイートを非表示にする機能も存在する。

・リツイートが多すぎてタイムラインが埋まる
・回ってくる意見がことごとく合わない
・突っ込みを入れるためあえて極端な内容なのをリツイートしているようだが、
 そもそもそのリツイート元の内容が不快で見たくない

…などという場合は使用すべきである。

本当に価値のある内容であれば、他の人もリツイートしてくれるはずのであまり心配は要らない。

ちなみにあくまでタイムライン上にその人がリツイートしたツイートが現れなくなるだけで、
その人のページに直接アクセスすれば普通にリツイート内容を確認することができる。

ミュート・タブによる情報の選別

キーワードや特定の人を指定して、一時的にツイートを表示させないミュート機能や、
一部クライアント(Tweenなど)にある、タブを作って特定の発言を隔離・集約できる機能などを
活用して情報を選別するのもひとつの手である。

普通はまとめサイトのURLを隔離したり、
「炎上」「無断」「衰退」などの荒れやすいワードをあらかじめミュートしておいたり、
特定の話題でタイムラインの空気が支配された時にキーワードを隔離する際によく使う。

タブ機能は、「nicovideo」をキーワード指定して、
タイムライン上に貼られたniconicoの動画を新しいタブで見られるようにするなどの使い方もできる。

リスト機能の活用

リスト機能を活用するというやり方もある。

ツイートの頻度にもよるが、24時間すべての発言を追えるタイムラインの人数の限界は
だいたい100人前後ではないかというのが実感である。

フォローが500人を超えるあたりからは、数十分前の発言をさかのぼるのも困難になってくる。

そこで、特に発言を追いかけたい100人前後のキーマンを入れた非公開リストを作ることになる。

誰を入れるか直感では悩むという方は、
最近のリプライやリツイート、いいねした人の上位を調べてくれるサイトがネット上にいくつかあるので、
それをもとにして決めるといいと思われる。

特定のクラスタの人を固めたリストを作るのも面白いかと思う。

ただこれはバランスの問題になるが、
単純に自分に都合のいい情報だけを集めても、逆に視野が狭くなる可能性もあるので考えものである。

先日、某広告代理店の方による「ヒットの出し方」的な仕事術を聞く機会があったので、
私は「情報はどのように仕入れていますか?」とその方に質問をした。

私はさぞかしすごいツールを使っているのではないか、
あるいは凄まじく広い人脈を生かして、情報を手に入れているのではないかと思っていたが、
回答は意外なものだった。

それは「興味がある本を買う際は、興味がない本も一緒に買う」というもので、
すごく目から鱗が落ちたような気分になった。

ここまではしなくても、頭はいいけど自分と明らかに違う考え方をする人であるとか、
全く違うクラスタの人などを一部追いかけるようにすると、
視野を広げることにつながるかもしれない。

Twitterクライアントを選ぶ

ちなみに私は公式のTwitterページや公式アプリ以外に
パソコンでは「Tween」「TweetDeck」
スマートフォン(Android)では「Absolutter」をよく使っている。

Twitterクライアント「Absolutter」の画面
Twitterクライアント「Absolutter」の画面

「Absolutter」は情報を素早く見渡せる画面が特徴で、しかも、
「全員の全リツイートを表示しない」という強力な設定のできるTwitterクライアントである。
数時間分の発言を一気にさかのぼりたいときによく使っている。

その他ツールの活用

RSSリーダー

「Feedly」などのRSSリーダーは、情報を効率的に手に入れるのに非常に有効である。

あれもこれもと追加するとあっという間に追えない量に膨れあがるので、
本当に必要な情報のみを少しずつ追加して様子をみていくといい。

Stylus

PC用のGoogle ChromeおよびFirefoxの拡張機能(アドオン)「Stylus」を使うと、
設定しだいでTwitterのトレンドや、niconico動画ページ内のニコニコニュースなどの非表示ができる

CSSを理解する必要があるので若干技術的なハードルがあるものの、 うまく使いこなせれば
余計な情報をシャットアウトでき、情報のコントロールにかなりの効果を発揮する。

ゴシップサイトブロッカー

同じくChromeとFirefoxの拡張機能「ゴシップサイトブロッカー」を使うと、
検索結果から特定のサイトを除外できる
ため、
ネット検索による思わぬ情報衝突事故(という言葉があるのかわからないけど)を防ぐことができる。

ちなみに、上記拡張機能には「い」で始まって「か」で終わる
SEO目的のブログでよく使われる例の7文字を除外して検索する機能があるため、
これを適用すると「鏡音リン・レンって誰?関係性は!?調べてみました!」の歌詞を書いた記事
バッチリ検索から除外されることは筆者環境にて確認済み
である。

おわりに

これまで見てきたような心がけや、ツールなどを活用した情報のコントロールにより、
少しでも「いい曲」に出会う確率を上げたり、「いい曲」をより長く「いい曲」だと
思い続けられるようになるのではないかということを、本稿では提案してきた。

これを参考にして、皆様が自分なりのやり方で情報をコントロールする方法を見つけ出し、
今よりもっと音楽を楽しめるようになれば幸いである。

多くの人々が、自分に合った音楽の楽しみ方を見つけることができれば、
「音楽の良さ」という個人の主観で決まることに対し、
他人と争うことも少なくなっていくのではないだろうか。

長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

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