岩永徹也さんの俳句「色のなき風やボカロのラブソング」をボカロP俳人が鑑賞してみた | G.C.M Records

アイキャッチ 岩永徹也さんの俳句「色のなき風やボカロのラブソング」をボカロP俳人が鑑賞してみた

岩永徹也さんの俳句「色のなき風やボカロのラブソング」をボカロP俳人が鑑賞してみた

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はじめに

こんにちは、アンメルツP(俳号:安溶二)と申します。
2008年からボカロPを、2018年から俳句を楽しんでいる「ボカロP俳人」です。

2020年10月29日にMBS・TBS系列で放送されたテレビ番組「プレバト!!」
俳優の岩永徹也さんが「ボカロ」(ボーカロイド)を詠み込んだ俳句を発表しました。

私はよくハッシュタグをつけて、プレバトで発表された句の鑑賞を楽しんでいるのですが
この句は、地上波でいきなりボカロの句が詠まれたことに動揺して
あまりリアルタイムでは冷静に鑑賞できなかったので、
今回は文章を書きながら、この機会に時間をかけてじっくりこの句を味わっていきたいと思います。

番組における細かいセリフのやり取りは、
プロキオンさんの「プレバト!!で芸能人が詠んだ俳句を徹底紹介するブログ」が参考になります。

【金秋戦予選AB】20201029 プレバト!!俳句紹介【ピアノ】 – プレバト!!で芸能人が詠んだ俳句を徹底紹介するブログ
https://haikuvariety.blog.fc2.com/blog-entry-209.html

岩永徹也の全俳句一覧 – プレバト!!で芸能人が詠んだ俳句を徹底紹介するブログ
https://haikuvariety.blog.fc2.com/blog-entry-38.html

「色のなき風やボカロのラブソング」

番組的にはタイトル戦「金秋戦」の予選にあたる企画であり、
A~Dの各ブロックに4人が参加して、1位は決勝に直接進出。
2位は補欠に回り、A~Dの2位の中で一番良かった作品のみが決勝に進出できるという場面です。

その舞台で岩永さんが詠んだ俳句は、

「色のなき風やボカロのラブソング」

というものでした。

参加者もハイレベルで、かなり完成度の高い句かチャレンジした句じゃないと予選突破が狙えない、
岩永さん自身、勝負をかけた作品だったのではないかと想像されます。

この句は、4人中の2位にランクインをして、補欠に回りました。
11月5日放送分で通過できるかどうかが決まります。

直接的に直しはなかったものの、参考例として
「色なき風やボーカロイドのラブソング」という添削例が示されました。

「色のなき風」というよりは「色なき風」が本来季語として望ましいということで、
句またがりだった原句から、
上五を字余りにし、「ボーカロイドの」と後半の七・五で調子を整えるという添削ですね。

夏井いつき先生の評価軸としては、基本的にすべて「本人の言いたいことが表現から伝わっているか」という
一点にあるので、調べて分からない単語があればきっちり調べてから評価を下します。

今回の「ボカロ」もそうで、意味を調べたり、
周りの若い子に「ボカロ」という省略系の呼び名が普及しているかどうかを聞いたりしてから、
この表現が妥当か判断を下しています。

この姿勢もとても私が夏井先生を尊敬する理由のひとつです。

「色なき風」という季語について

「色なき風」とは、「秋の風」のことを示す秋の季語です。

色なき風の作句例(俳誌のサロン)
http://www.haisi.com/saijiki/ironakikaze.htm

秋は、白い色に例えられます。
そのことから、秋の風のことを「色なき風」と言うそうです。

なぜ白い色に例えられるかというと、「青春、朱夏、白秋、玄冬」のように、
青龍・朱雀・白虎・玄武という中国の四神と季節を結びつけた考えから来ています。

五行思想 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3

ここら辺の中国の思想が古代日本に影響を与えているようです。
番組内でも、平安時代の和歌の時代から使われる古い季語であると紹介されていました。

というわけで、直接的に「秋の風」ではなく、「白色」「色のない」を強調する
「色なき風」という季語を岩永さんは意図的に選択したようです。

作曲・歌が趣味の岩永さん

岩永さんは自身で作曲もされるそうで、
番組内ではVOCALOID Keyboardを使って、制作した歌詞をキーボードに流し込んで
ボカロの声を少しずつ出しながら曲を作っていくシーンが紹介されていました。

岩永さん自身は、「人ではなく機械が歌うために、色っぽさや切なさが人の声よりも感じられない」
という趣旨から「色(の)なき風」を合わせてみた
、という趣旨のことをおっしゃっていました。

実際、楽曲は自身で歌うオンラインイベントのために制作をされていたようで、
「歌わせながらメロディーを考えやすい」という理由でVOCALOID Keyboardを使用されているのかなと感じ、
これをそのままボカロ曲として発表する、というわけではなさそうな雰囲気でした。

そのオンラインイベントが、ラブソングをテーマにしており、
その時期に金秋戦のオファーがきて
このような自身の体験を反映した句ができたものと思われます。

フジモンさんの鑑賞

この句に対し、フジモン(FUJIWARA藤本敏史)さんは、
「色のなき風」の殺風景なイメージに対して、
「ボカロ」は映像的にとてもカラフルなイメージがあるため、その対比が面白い
という
趣旨のことをおっしゃっていました。

これ、とても面白いです。

岩永さん自身は、「ボカロ」イコール「色なき風」という句意で詠んだものが、
フジモンさんは「ボカロ」と「色なき風」を対照的なものとして取り合わせたと感じた、ということですね。

ちなみに、前に岩永さんは「冴返るA.I.棋士の白き腕」という句も詠んでおり、
どちらかといえば「機械=冷たいイメージ」の取り合わせを意識していると感じます。

さらに夏井先生は、「色なき風」が歴史のある季語だということを踏まえて、
「古いもの」と「最先端のもの」を取り合わせたチャレンジ、という点にも評価をしていました。

詠んだ人の言いたいことが伝えられているかというのは、もちろん俳句の部分の評価の一つではあります。

ただその一方で、鑑賞する人によって、句の世界はどんどん読みが深まっていくわけですね。

選んだ人に正解はあっても、鑑賞も一つの解釈として味わっていこうということです。

「色が無い」と「カラフル」が両立する「ボカロ」

私としては、こんな風に
「色が無い」と「カラフル」という相反した概念・解釈が「ボカロ」に両立している事実
重要かなと思います。

実際、ボカロ自体に色はありません。
機械の歌声であり、人間の器官から発声をした生の歌声に比べると感情は無いのは事実です。

しかしながら、「色が無い」からこそ、それを使う人間・聴く人間が様々に「着色をできる」のです。

そして人間の魂が込められた、色は無いけどカラフルなボカロ曲が完成するわけですね。

さらに、たとえボカロ曲として発表しなくても、VOCALOID Keyboardという存在があったから
岩永さんは「ラブソング」を生み出すことができたのではということを考えると、
これも色の無いツールを利用してカラフルな作品の完成をサポートした事例とも
解釈できるのではないでしょうか。

そして聴き手が自由に解釈できる概念を歌ってもらうと、色のない「器」としての曲ができるというのは
以前の「セカイ」のレビューでも語ったことです。

以上の3つは、「ボカロ→ボカロ曲」「ボカロ→人間の曲」「ボカロ曲→人間の曲」と
微妙に違う実例を話しているわけですが、
色のないものからカラフルになる、という方向性はみんな一緒の気がします。

真っ白なキャンバスを美しいと思うか、カラフルな絵を美しいと思うかは、
これもまた個人の自由であり、比較の軸がそもそも違うものであることには注意が必要です。

ところで今流行っているスマートフォン音ゲーのタイトルを見てください。
ボカロと人間が出会うゲームのタイトルが「カラフル」というのはなんか象徴的じゃないですか?

私自身の観賞

ちなみに「伝統的なもの」と「ボーカロイド」を組み合わせた試みは、
歌舞伎や人形浄瑠璃など、これまでも様々なものがありました。

そんな風に、古代の和歌の時代(そもそも和歌の上手さで恋愛が決まってましたよねあの時代は…)から
続いてきた「色のない風」という伝統的な概念が現代の日本まで受け継がれてきて、
その結果、「ボーカロイド」による「ラブソング」というカラフルな存在が溢れる、
すばらしい世の中になった

というのが、私のこの句の鑑賞です。

そして、ボカロの象徴的な存在である初音ミクの発売日は「8月31日」です。
旧暦で言うと秋なんですねこれが…。
(現代の季節で考えても、夏と秋の境目に位置する何か象徴的な日付のような気がします)

おわりに

そんなわけで今回自分で勝手に盛り上がり、エモさが伝わるような鑑賞にチャレンジしてみました。

ちなみに俳句の世界で「ボカロ」を詠み込んだ歌は別に初めてでもなく、
有名無名問わず様々な方によって日々新しい句が発表されています。

私のお気に入りは Twitterの俳句バトルという企画で見かけた
「春の雷混じりのボカロ曲となる」という句です。

秋に限らず、いろんな季節の季語と組み合わせても楽しい句ができる題材かと思いますので、
よろしければ皆様もボカロ句を作ってみてください。

実は、「俳句をとりまく構造」と「初音ミクを舞台にした創作の構造」って
とても共通点が多い
んじゃないかと、俳句を始めてから感じています。

自分が創作者でありながら鑑賞者であったり、鑑賞者によって世界が広がるところなどですね。

だからこそ自分も俳句にハマったんだなと思っています。

この話を詳しく書くとちょっと長くなってしまう気がするので
後日別記事にでも書いてみたいと思います。

★「プレバト」に学ぶ創作との向き合い方という記事も書いています。
よろしければ合わせてお楽しみください。

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